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30年の歩み

校章・校歌
施設・設備
図表で見る30年
学校行事
 
校名
 昭和54年、生徒・教職員から公募され、30を超える案の中から「響」、「豊浦響」、「豊浦西」、「豊西」の4案に絞られ、山口県知事、山口県教育委員会の助言を仰ぎ「響」と決定された。 

校章・スクールカラー

校章


  校章は、数多くの応募の中から、2年生徒の図案が選ばれ美術担当教諭が補作して、昭和55年2月に決定した。
  「豊浦町は、本州最西端に位置し、西に広がる響灘と東に連なる豊浦山系に囲まれた風光明媚な地である。校章は、弥生人らの築いた古代文化の跡、夢が丘を背景に、響灘の磯にとどろと寄す波に、屹立する本校の勇姿をを表現したもの。また、志高く己を持しつつも、夢多きロマンを求めてほしいとの願いがこめられ、さらに、困難に敢然と立ち向かう不撓不屈の精神を培うたくましい人間づくりを象徴したものである。」

スクールカラー


「響灘の海の色」、「響灘の夕映えの色」、「エヒメアヤメの色」の3案があったが、響灘の海の色に山の緑もとり入れて「緑のはいった青」 (ヴィヴィッド・グリニッシュ・ブルー)となった。(右校章の背景色)

校歌
校歌   作詞 上田孝治   /  作曲 友永次郎

校歌 歌詞 1番から4番



 「生徒諸君が学校に限りない誇りと愛着をもってくれるように」との願いをこめた清新重厚な詞

 「新しさがあり、かつ、飽きないメロディを創作条件として取り組み、遠くにみる響灘から徐々にズームアップして、最後に高らかに歌い上げる構成。」